2024/01/07 22:53
前回は就農1年目で農業も地域社会も右左がわからないまま飛び込み、農家の先輩にすがることもできず、ひたすら今目の前にあることをできるようになることしか意識できなかった状態の中で、ちほさんが精神的にくたびれてしまったという話でした。
ちほさんの精神的な苦境とその時の気づき
ここで私が思ったのは、「私が頑張らなければ」という、ただ単純に今の須山農園を「仕事として成り立つようにしよう」という所にしか目が行かなかったのです。もちろん間違いではないだろうし、いろんな選択があるなぁとも思うのですが、今あの時に戻るならもっと違う選択をしていたなぁ。しなければならなかったなぁと思うのです。
もっとちほさんに寄り添った改善の仕方があったんじゃないかなぁと思うのです。そうすればもう少し早く回復したんじゃないかとも思うのです。
あの時は、 日々生きて、技術を身に着けて、作物を美味しく育てて、ちゃんとした継続できる価格で買い求めてもらうお客様を増やそうということに必死で必死で、てんてこ舞いだったとは思います。言い訳になりますが。
この診断の日以降、ちほさんは、「まずしっかりと寝る、休む、動けそうなら仕事をする」をベースに行動していくことになります。
私もそれを受け入れ、それでも仕事が回るような工夫をこらすことに集中していきます。といっても、その当時の複雑な心境はなんとも覚えていないのが現状ですが。
農業の1年目の栽培
1年目の栽培関係についても書いていきます。
西条柿栽培を中心に、父がやっていたように少量多品目での野菜栽培をしました。農薬を使用せず栽培するという縛りは以前の投稿でも書きましたが、どのみち師匠不在の中やるのであれば、もういっそなくてもやれる方法をやろう、という甘い謎の自信を元に進めました。
1年目は父が作っていたものをベースに栽培品目を組み立てました。とはいっても、父が長年かけてやってきたことを一年目でいきなりまねをしようとしているのでこの時点で無理があります。そんなことは梅雨しらず、とりあえずやってみる、のが精一杯でした。
春から夏にかけては、キュウリ、ナス、モロヘイヤ、ピーマン、などを栽培していたみたいです。ほとんど失敗しました。かろうじてアジウリはビギナーズラックでうまくいきました。
手塩にかけたキュウリは、アブラムシが蔓延してほとんど収穫できず、もがき苦しむのですが
このころから自分のできなさと植物の強さや昆虫の遷移から「私がキュウリを作っている」のではなく、「キュウリが健康に育ってくれるような環境づくりをサポートしている」という感覚になっていたように思います。
野菜栽培も慣れぬなか、果樹(西条柿・梅)の管理作業も同時並行で進めていきます。基本的にこのころは経験不足過ぎてすべてが後手後手に回っていたように思います。
たくさんの失敗を繰り返しながら、身についているのか、傷付いているのか、気づいてないのか、ただひたすらに日々を過ごしていました。
休むことはまれで、日が昇ったら動き出し、暗くなってもライトをつけて作業をしていました。
単純に自分がやりたいことをひたすらやっていくので長時間働くことじたいは苦ではなかったのですが、今思い返せば、こんなにも失敗してるのに合わせる顔がないからなるべく遅くに帰りたいというのも心の隅ではあったのかもしれません。
そんな私と共にいてくれたちほさん、やさしく見守ってくれた母やおばあちゃんには感謝しかないです。
そういえば2019年を振り返った動画があったのでこちらもまた見てみてください。
この動画に出てくるあしけんについて、軽く触れるだけにしておきますが、彼の支えもとても大きく、おかげで農業1年目を何とか乗り越えることができました。