2024/04/07 08:29

須山農園のひろきです。

いつも見ていただきありがとうございます。
3月中はかなり寒く毎週のように体調を崩していましたが、今はぽかぽか陽気になってきてすごく幸せいっぱいです。

とはいうものの、剪定作業はまだ終わっておらず、少し焦り気味です。

西条柿の新芽も動き出し、ふっくらと膨らむその姿にはいつも元気をもらいます😊
《西条柿の新芽》

《剪定後の西条柿の様子》


生き物と仕事をする

農業をしていると、様々な生き物と向き合いながら仕事をすることになります。

キュウリの種を播き、苗まで育て、そして畑へと植える。
その間に、キュウリへの病気や虫の食害を減らすべく、畑の周りにあるヒメオドリコソウやホトケノザなどの草花を除いて回る。
スタート時にキュウリに付く虫や病気が多い状態だと、あとから対策をしても生き物の勢いはなかなか止まりません。

私たちは野菜と梅には農薬を使用せず栽培していることもあり、なおの事なのです。
それらの生き物の繁殖数がピークに達して減っていくか、栽培している植物が負けてしまうかのどちらかになってしまいやすいです。

栽培初期は特に負けやすかったりするので慎重に、慎重に対策をしていきます。
この5年間でたくさんの失敗をしてきましたが、それでも毎度新たな課題が出てくるのは、いろんな生き物と共に仕事をしているが故だなぁとも思います。

それがまた楽しんですがw

《元気に育ったキュウリの接ぎ木苗》

《拡大するとこんなにもとげとげしていて、枝分かれ部分からは新芽がもう準備を始めています》

農業は究極の『待つ』という仕事

皆さんは「待つ」という事にどのようなイメージをお持ちでしょうか?

おそらく少しネガティブで受け身なイメージが強いのではないかと思います。

でも、おそらくそのイメージは「待たされる」から来ています。
「待つ」と「待たされる」は全くもって違うのです。

「待つ」とはどこまでいっても受け身ではないのです。

農業は、植物の生長に『待たされる』状態ではなく、植物が生長し収穫する姿を『待つ』、販売できる商品となるような野菜を『待つ』状態だなと思っています。

私たちは積極的に野菜や果物が育つのを待っています。
健康に育つように栽培環境を整える事も、大事な『待つ』仕事の一つなのです。

《初めて接木したトマトの苗》

時に、「待つ」という行為は、不安と恐怖にも掻き立てられます。
農家の人にはわかると思うのですが、突風が吹く夜は寝つきが悪くなり、雨が降らぬ猛暑には恐怖さえも感じます。

鷲田清一さんの『「待つ」ということ』という本の一説に
『〈待つ〉という事を停止しなければ、「待ちきる」ことはついにはできないことになる』
とあります。

「待つ」ことによる不安と恐怖は、心も体も蝕んでしまいます。
不安な夜も、暑い夏も、「待ちきる」ために一度「待つ」ことを忘れ、今すべきことに熱中しないといけないのです。

そうでなければ、ついには諦めてしまい待ちきれなくなるのです。


それは植物だけに言える事では無く、一緒に働く人に対しても同じように考えているかもしれません。
いかなることが台風のようにやってこようと、「待つ」という姿勢を自分に備えておかなければ、私には到底農業さえもできないとそう思っているからかもしれません。

だから今日も積極的に「待つ」のです。そして、「待ちきる」ためにも「待つ」事を忘れるのです。

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今から水利組合の草刈りがありました。
こういう事は忘れないようにしよう。


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是非この機会に地域の循環する暮らしの事や、私たちのような地方ではどのように工夫を凝らしながら生きていくか?価値を生み出していくか?を考える機会になればいいなと思っています!
よろしくお願いいたします。