2024/01/21 22:41
2年目後編です。
退院後はちほさんも落ち着いた様子でしたが、まだ以前のような会話のキャッチボールができにくい状態で、少しぼーっとした感じが続いていました。
ちほさんの躁うつ病について軽く説明すると
躁とうつのコントロールが効きにくく、普段の生活・仕事へ支障をきたす病です。
私達も普段テンションのハイとローを行き来していますが、躁うつ病はその振れ幅が明らかに大きくなります。
躁(ハイ)だと全能感をもちブレーキが効きづらく寝ることもできなくなるくらい動き回り、うつ(ロー)だと無力感による食欲不振と全てにおけるマイナスイメージから絶望的な心境になります。
そのハイとローの振れ幅をなるべく小さくしていくのが第一歩という状態でした。
日々の農作業
この2年目となる年は2月頃に堆肥づくりについて勉強をしましたので、作物をまだうまく育てられない中、堆肥づくりというものにも手を出していました。
もみ殻堆肥、生ごみ一次処理、生ゴミ堆肥などを作っていたので每日仕事終わりに混ぜたりします。
朝は5時頃から活動し、夜は8時頃までやっていたように思います。もちろん、あしけんも一緒に。
土日とかはあまり関係なく、疲れたり、雨が降れば休むみたいな感じでした。
それも、農業の経験値も少なく、経営能力も低いものですから時間を要するのはしかたないことかなと今は思います。
このころが肉体的に一番ハードでしたが、なんか部活をしているような感覚で日々を過ごせたので、ある種の心地よさはありました。
秋まで何もうまくいかない
前年1年目の経験もあって、ある程度の1年の流れは把握できており、計画が練りやすくなっていたものの
そんな個人的な計画は、自然を前に無力でした。
たくさんたくさん、失敗しました。
まず苗がうまくいかない。
そもそも培養土も購入のものではなく、自作堆肥など混ぜ、お手本となる本をみたりして作っていましたがうまくいかない。
発芽しにくく、揃いが悪い、そして生育が遅い。
そして、やっとできた苗も畑の準備が遅くなるとなかなか植えることができず老化苗になってしまったり、晴れが続くと水が足りず枯れてしまう
働いてくれる人はいるが仕事は作れない
仕事にならない仕事を作ってしまう
そんなことが続いたりしたので夏はあしけん以外の人には申し訳ないけど、休みにしてもらったりしました。
自分の経営と農業センスが絶望過ぎました。
それでも諦めない
金銭的にはこのころ一番厳しく、ギリギリの状態で推移していました。
諦めない、というよりもある種の鈍感なところがあって、他の人ならここらへんで辞めるか、上手く方向転換したり、工夫をすると思うのですが
「とりあえずやってみんとわからんし、まだ2年目やん、3年目はもっといけるやろ!」
の精神でやっていた気がします。ちほさんはもとより、家族にも心配をかけていたんだろうなと思うとやるせないです(涙)
野菜もうまくいかず、西条柿も想い描くように収穫は出来ず、落胆もするのですが、干し柿の加工シーズンはある程度仕事がまとまっているので精神的にも安定します。
また2年目冬ごろから、西条柿の干し柿や、初年度に商品開発した西条柿のドライフルーツの取引も少しづつ増えていきました。
今でも私自身に自信はないんですが、
こういった販売先が増えていく経験が、自分のしている仕事を認められたような気持ちになったのを覚えています。
今でもいろんな購入者様からコメントや声をかけてもらうことで元気をもらえています。
また、そんな過程を経て、仕事が生み出せて、人を雇用できていることに喜びを感じている自分がいるのも事実でした。
誰かの「やりたい」や「頑張りたい」「変わりたい」に応えられる空間が生み出せているという事に喜びを感じ、価値を感じるみたいです。
「農業は儲からない」「田舎は仕事がない」「私にはそんなことはできない」「自分は変えられない」
そんな言葉が飛び交う社会に抗いたい、あまのじゃく精神が強いのかもしれないです。
12月頃のあしけんが大根を収穫する写真が発見されました。
2020年-2021年の冬作は少しは手ごたえのある栽培ができるようになってきていたみたいです。この頃からいろんな品種を蒔いて、どれが当農園では美味しく育てられるか?を試していました。
そんな経験があったから今美味しい野菜を育てられているのかと思うと
失敗も悪くない。